2013年04月30日

昨日は映画喫茶白鯨でした!


 さて昨日はなんば白鯨さんで「映画喫茶白鯨」がありました。御来場頂いたお客様、ありがとうございました!今回は「白鯨春のマンガ祭り」と称し、アニメ及びアニメ原作の作品をプレゼン合戦してまいりました。

 勝者は主催の若林さんの「オレマンガ祭り」。カウボーイビバップ第19話「ワイルド・ホーセス」、仮面ライダーZO、シティーハンター第1話「粋なスイーパーXYZは危険なカクテル」という構成でした(今になって思うとZO以外は映画じゃないのですがw)。

 ここで話題になったのが仮面ライダーZOのエンディングがVガンダムのエンディング曲「WINNERS FOREVER」が本来この作品に使われるはずだったという話。そして調べてみたらいるんですねぇ。差し替えてニコニコ動画にアップしている人。これを見るとむしろこっちの方が世界観があっていて正解なのに驚きますよ。



 Vガンダム放送当時は恥ずかしながら勧善懲悪の物語だと思っていて、主人公ウッソが所属するリガ・ミリティアがゲリラ組織(というか半ばテロ組織)であることすら気がついていなかったのですが、ヒーロー賞賛曲である「WINNERS FOREVER」が上手い隠れ蓑の役目を果たしていたのかもしれませんね。

 次回は間を置かずにやります!5/10(金)19時頃スタートです。プレゼンテーマは80年代映画特集「I LOVE 80's」。宿題は現在公開中の「アイアンマン3」と前回からの持ち越しで「ブライズメイズ」。そして某アイドルさんの吹き替えが酷い(苦笑)と評判の「TIME/タイム」でございます。

5/10(金)
「映画喫茶白鯨」
start 19:00 / ¥500- (1drink別)
出演 / 若林賢太郎、吉田徹(アニメR)、中澤勇一(アニメR)、ごんぼそ、ケビンコナス、帝、他
http://hakugei.net/archives/date/2013/05/10?ec3_listing=events

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 なんば白鯨さんの姉妹店、なんば紅鶴さんでは「アメコミナイトin関西」をやっていました。こちらをのぞいてきたのですが凄いお客さん!凄い熱気!凄い情報量!アメコミに関しては映画以外ほとんど無知なのですがいい勉強をさせて頂きました。次回の映画喫茶白鯨で使えるネタも拾えたかもしれないw???

 看板はスーパーログさんによるもの。映画喫茶白鯨パネラーの若林さん、帝、さんのネットラジオ「ワルナビ」他、ネットラジオチーム「もっこもこチャンネル」の一連のTシャツデザインを手がけて頂いたお方でございます。すごい格好いいでしょ!  

Posted by 天野"kevin"達也 at 20:14Comments(0)Vガンダム

2013年04月16日

Vガン20周年ということでトリビアその2

 さてVガンダムトリビアの続きをやります。自力で集めた設定資料集から。

○ファラ・グリフォンはファア・グリフォンという名前だった。
 キャラクターの対比表を見るとファラ・グリフォンの名前が「ファア」になっています。


しかしその後に描かれたと思われる個々のキャラクター設定表を見ると「ファラ」になっています。

「ファア」が変更されたのは「Zガンダム」にファ・ユイリィがいたことから被ることを避けたかったのかもしれません。その一方で暫定とはいえ見た目も響きもしっくりこないこんな名前を付けるのかな?という疑問もあります。案外イージーミスでこう書いてしまったのかも。

○リーンホース&リーンホースjrはギルガメッシュだった。
○ザンスカールの戦艦、スクイードはオクトパスだった。
○「魚の骨」シノーペはカルメだった。
○ザンスカールのMS、コンティオはビヒモスだった。

 結果的にはボツになったとはいえ、それぞれ見た目や役割等から与えられた名前を与えられており、なかなか興味深かったりします。


 ギルガメッシュは「メソポタミアに実在した王」「物語としてのギルガメッシュ叙事詩」「冥界の王」といろいろ意味があるのですが、リガミリティアがテロ組織である事を考えると「冥界の王」というのがしっくり来ます。ただその後(シリーズ終盤の特攻攻撃等)を暗示しすぎる名前だったためにボツになったのではないでしょうか。そういやシャクティの本名、アシリアはメソポタミアのアッシリアとつづりが同じなので、Vガンダムでメソポタミアから名前を引用した例が調べてみると結構あるのかもしれません。


 リガミリティアに鹵獲(ろかく)されてリーンホースjrのベースとなったスクイード。スクイードは英語の「イカ」なんですが、元々は「オクトパス」という名前だったことを知って見るとなるほど、タコっぽいデザインですね。

 スクイードは「カイラスギリー」を牽引・接続するための無数のケーブルがつながっており、よりタコ・イカぽくなっています。ですが、暗い宇宙空間ということと、赤い事で色がつぶれた感じになってしまってアニメ本編を見てもよく解らなかったりするのですが…。

 同じくリガミリティアに鹵獲されて「魚の骨」と呼ばれるシノーペ。元の名前、カルメ共々木星の衛星から取られています。ここに描かれているカリスト・アマルテア、そしてバイク戦艦であるアドラステア・リシテアも木星の衛星からの引用です。これはザンスカール帝国の宰相フォンセ・カガチが木星帰りという設定に関係しているのでしょう。


 ヒビモスは旧約聖書の巨大怪獣「ベヒモス」のいくつかある読み方の一つで悪魔としても扱われる事があります。富野監督がキャラクターデザインの逢坂さんに「ベスパ側に悪人はいないから普通の顔でいい」と注文を出したそうなのですが、怪獣・悪魔の名前である「ヒビモス」を止めたのはこれと同じ理由から来ているのかもしれませんね。

 ただ正式名称であるコンティオも逆から読むと「オティンコ」になるのでこれはこれでどうなんだ(笑)?という気もしますが(ただ言葉の響きはイイですね!)。  

Posted by 天野"kevin"達也 at 22:27Comments(0)Vガンダム

2013年04月12日

Vガンのレア音源をあさってみると…

 Vガンダムのサントラは全部持っているんですが、そういや主題歌のシングルは持っていなかったなぁ、と思いネットを使ってあさってみましたよ。中古とはいえ、ありがたいことに4枚そろえても1000円ちょっと。これでボーカル抜きのカラオケを聴くことが出来ました(Vガンダム変態だなぁ)。


前期OP・EDの「STAND UP THE VICTORY」と「WINNERS FOREVER」の表ジャケット。「STAND UP~」のデザインはキャラクターデザインの逢坂浩司さんの手による物です。


裏ジャケット。「WINNERS FOREVER」のジャケットアーティスト表記はなし。既存の素材をうまく組み合わせて作ったのかな?


後期OP・EDの「DON'T STOP! CARRY ON!」と「もう一度TENDERNESS」の表ジャケット。「DON'T STOP!~」も逢坂浩司さんによる物。


裏ジャケット。こうして見るとOPはキングレコード、EDはアポロン所属のアーティストが担当していたんですね。さらに突っ込めばキングは表の方にVガンダムを、アポロンは裏の方に描いています。

「もう一度TENDERNESS」のジャケットがなかなか素敵なのですがこちらもアーティスト表記なし。どなたの手による物なのでしょうか…。


「DON'T STOP!~」には「セル原画:逢坂浩司」とあるんですが、この絵の質感を見るとセルじゃないですよねぇ?油絵で描いたんじゃないかな。追悼画集「逢坂浩司イラスト&ワークス」にも収録されていなかったので、タイトルなどを省いた実物に近い物を見てみたいのです。

 「STAND UP THE VICTORY」の川添智久さんは既にリンドバーグのギターとして有名でしたし、現在もTOPGUNとして活動中。「WINNERS FOREVER」のinfixの皆さんは現在も活動中。ボーカルの長友仍世さんは一時期TOPGUNにも参加していました。「もう一度TENDERNESS」のKIX-Sの皆さんはこの曲の前にフジテレビ月9ドラマ「君のためにできること」の挿入歌「また逢える…」でヒット。ユニットとして2004年まで活動した後、現在はそれぞれの音楽活動をしているそうです。お三方とも09年に名古屋で開催された「生誕30周年祭in NAGOYAガンダムTHE FIRST」に参加しています(KIX-Sの浜口司さんはTSUKASA名義で)。


 で、ですね。ここまでOP・EDを担当したアーティストの皆さんの足跡はgoogleやウィキペディアを使えば簡単に見つけられたのですが、「DON'T STOP! CARRY ON!」のRDのお二人に関してはさっぱり解らなかったのです。また「RD」って商品の型番によく使われるのでgoogleで検索してもそれらに埋没してしまうんです。我々スタッフ、一生懸命探しました(僕一人ですが)!そうするとRDさん、唯一のアルバムを入手できたことから調査の糸口をつかみましたよ!そして奥さん!見つけましたよ!



 RDのお二人はツインボーカルユニットでお一人は諸岡ケンジさん。「黄桜」「NOVA」「河合塾」といったCMで起用された楽曲を多数手がけておりきちんとウィキペディアのページもありました。

諸岡ケンジさんのHP
http://www.sastyxxx.com/voice/index.html

 もうお一人は神力裕(しんりきゆたか)さん。実は藤慎一郎という名前で80年NHKの「レツゴーヤング」サンデーズとしてデビューし(同期に田原俊彦さん)、翌81年にサンデーズを卒業後、レコードデビューというアイドルとしての実績がある方でした。

 知識wikiというところによると1992年9月26日にRDとしてデビューとあるのですが、これは結成という意味ででしょう。シングル「DON'T STOP! CARRY ON!」が93年11月3日発売。アルバム「be too good for WORDS」は11月26日発売となっております。

 お二人とも音楽活動は継続中で諸岡さんは川口SHOCKONで6月8日にライブをされるそうです。神力さんはHP・ブログを持っていないようで、その後の活動はお客さんからの反応を探すしかないのですが僕が探したところ2010年までは活動していたのを確認できました。

 RDってどういう意味なのかも疑問だったのですがライナーノーツに書いてありました。
今、一つのドラマが始まる。
出演者はRD、神力裕と諸岡ケンジのふたり。
彼らはせりふの代わりに歌う。
彼らは、音を突き詰めた「音核」を表現する「役者」。
SOUND ACTORS。
SOUND ACTORである彼らは、台詞を、言葉を、歌詞を
このアルバムに注ぎこんだ。
言葉で言い表せない音核を、今ここに…

RDは、ひとつのユニットネームである。
RにはRICH(富)、RIGHT(正)、REAL(現実)、
REMEMBRANCE(記憶)を意味し、
Dはその対極となるDUKE(名誉)DEVIL(邪)、
DESIRE(情欲)、DRAMATIC(劇的)を意味する。
RとDはVS(ヴァーサス)でありROCK DUOとしてコンビネゾンの関係にある。
音核の総てを演じる為に誕まれた-RD-SOUND ACTORSを、
まずあなたから体感して欲しい。



 ところでこのアルバムには「DON'T STOP! CARRY ON!」のRemix Versionが収録されているのですが、聴いてみるとリミックスというよりかはむしろシンプルな音に戻っている印象すらあります。もしかしたら元々がこれで、アニソンぽくポップさを出すためにキーボード等を足していったのがOPに使われたバージョンなのかもしれません(あくまで推測)。

 さてこれでVガンダムに関する音源はそろえたかな?と思ったところ新たな情報が!「もう一度TENDERNESS」が収録されたKIX-Sのアルバム「MOTHER」での物は演奏部分が長いんだそうです!
うわっ、まだ終わらねぇ…(汗)。
まぁ中古価格250円くらいなんで難しくはないんですけどね。  

Posted by 天野"kevin"達也 at 22:33Comments(1)Vガンダム

2013年04月02日

Vガン20周年ということでトリビアその1

 本日4月2日は「機動戦士Vガンダム」放送開始日なんですねぇ。しかもそれが1993年なので20周年!関わったスタッフ・声優の皆さん、おめでとうございます!せっかくの記念日なので僕が知っている限りのVガンダムトリビアを披露したいと思います。

○キャラクターデザインのコンペに参加したのは結城信輝氏と川元利浩氏、そして逢坂浩司氏。
 ネットにあった画像・ブログ等を参考にさせて頂きました。これは確認がとれただけの情報なので三氏以外にもいたかもしれません。結城さんのキャラクターデザインのお仕事で有名なのは「天空のエスカフローネ(96年)」・「宇宙戦艦ヤマト2199(12年)」。川元さんは「機動戦士ガンダム0083(91年)・「機動戦士ガンダム第08MS小隊(96年)」・「カウボーイビバップ(98年)」。川元さんは逢坂さん、南雅彦さんと共同でアニメスタジオ「ボンズ」を設立することになります。

結城版Vガンダムキャラ一覧表




川元版Vガンダムキャラ一覧表




 逢坂さんのコンペ版キャラ一覧表は見つからなかったのですが角川書店から発売された追悼画集「アニメーター逢坂浩司 イラスト&ワークス」にちょっとイメージの違うウッソが載っていたのでもしかしたら下のがそうなのかもしれません。


○キャラクターコンペの段階では「ヤン・リー」というキャラクターが存在した。
 コンペに向けての指示書にそう書かれていたから、という前提があるにしても、結城案・川元案共に「肥満体の少年」となっているのが面白い。


結城版ヤン・リー


川元版ヤン・リー

○スージィ・リレーンはスージィ・ウルフという名前だった。
 こちらもキャラコンペから。アニメでは戦争にトラウマがある弱気な少女だったのに対し、「ウルフ」という名前の通り勝ち気な少女という製作サイドからの指定があった物と思われます。Vガンダムではエヴィン、オリファーといったドイツ出身を思わせる名前が多いことから、厳密にはヴォルフ(Wolff)という名前だったかもしれません。


結城版スージィ


川元版スージィ

他にも色々あるのですが4月2日が終わってしまいそうなので続きはいつかどこかで!カサレリア!

  

Posted by 天野"kevin"達也 at 23:20Comments(0)Vガンダム

2013年03月10日

クロスボーンガンダムゴースト第三巻

 さて昨日紹介した「よつばと!」12巻にあわせて長谷川裕一先生の「機動戦士クロスボーンガンダム・ゴースト」の第三巻も購入してきました。


 表紙見てビックリしたんですが主人公フォントの新しいMS「ファントム」が緑色だったとは…。ガンダムエースで連載時はカラーページになることはなかったので、この単行本がカラーリングの初お目見えとなった訳なのですが…。緑かぁ…。

 僕が参加しているトークイベント「映画喫茶白鯨」のおかげで(ちなみに次回は3月29日です)映画を見る機会がより増えたのですが、そこで得た経験から「主人公が緑色の映画は日本人にはヒットしない」というのが実感として持っています。「ハルク」「グリーンランタン」「グリーンホーネット」等々…。特にこれらの作品達は蛍光色的な緑色が人工的な感じをさせて拒否させているのかもしれません。

 で、「ゴースト」に戻るのですが先ほどの考えから「主人公機に緑色というのは無し」だと思うんですよ。単純に格好良くない。これが敵側であれば異物感を強調させる効果があるのでアリかもしれませんが。まぁ、この「ファントム」は敵側がもてあましていたMSをフォントが奪取した経緯があるので、これは暫定的なカラーリングで後々変更するよ、ということかもしれませんけどね。「ファントム」という名前から想像できる色って黒とか灰色なんだけどなぁ。  

Posted by 天野"kevin"達也 at 21:51Comments(0)Vガンダム

2012年12月25日

ガンダムパーフェクトファイルにドゥカー・イク登場!

 さてさて、聖なるクリスマスにもディアゴスティーニさんから出ている「ガンダム・パーフェクトファイル」は発売されております!しかもこの第66号はVガンダムファンにはまさにプレゼントと言える内容なのですぞ!


「バイク馬鹿」ドゥカー・イクに


その相方、レンダ・デ・パロマ


彼らの搭乗機、ガリクソンときたもんだっ!


えっ?それが出てきて喜んでいるのはVガンファンぢゃなくてオメエだけじゃないのかって?
ハイ、オッシャルトオリデス。

真面目な話第66号はF91からデナン・ゾン(表紙のMSね)、スペース・アーク、ナディア・ロナ、シオ・フェアチャイルド、シーブック・アノーの名言等々。そして各シリーズの辞典的コーナーである「用語集」にはVガンダムが始まったりと宇宙世紀晩期のストーリー・MSが好きな人には魅力的な内容になっていると思います。

あー、一番最初に来るワードが「アーティー・ジブラルタル」かぁ(しみじみ)。

あと面白かったのがF91以降、主流となった小型MSの「第2期MS」の特集。後付け設定とは言え「ガンダムユニコーン」で「第2期MS」のはしりであるロトが出て、時代と共に大型MSとのシェアが逆転していく様子は興味深かったです。


ちょっとオマケだけどF91のシオ夫妻の表情がそれぞれ違う方向でエロいw。

こういう人の内面的な物を表現できるのが安彦先生の上手さなんだよなぁ。  

Posted by 天野"kevin"達也 at 22:16Comments(0)Vガンダム

2012年11月24日

「いけいけぼくらのVガンダム」復活!

 Vガンダムファンの間ではいろんな意味で伝説的な本であったことぶきつかさ先生の「いけ!いけ!ぼくらのVガンダム!!」。長らくの間廃盤となっておりましたが、この度、角川書店から復刻されることになりましたので購入してまいりました。


以前の物は一度見せて頂いた事があったんですが、同人誌的な荒さがVガンダムのカオスな感じと上手くリンクしてパロディとしての面白さが出ていたと感じました。

しかしこの当時のことぶき先生の作風は師匠である園田健一先生とよく似ています。

 「ファースト」と「0083」の間をつなぐアナベル・ガトーの物語。「間をつなぐ」という点でガンダムエースのArk Performance先生ぽい作品。この単行本の中では珍しく重厚なお話。


 アッガイをメインキャラにしちゃったのはパロディとは言え同じくガンダムエースの曽野由大先生の先駆け?


 この本を象徴する言葉として「カテ公」というのがあります。Vガンダムのカテジナ・ルースを揶揄した言葉なのですが…。

「ガンダム」という物語は神話のように語り継がれ、これから何世代に渡って見る物になると思います。その中の「Vガンダム」も新世代のファンが新たに見ることになると思うのですが、「カテ公」という言葉が一人歩きして物語の本質のねじ曲げてしまうのではないかと心配してしまうのです。カテジナは父親にも母親にも見放され、身を寄せたリガミリティア(主人公ウッソ達の勢力)は故郷ウーイッグをおとりに使う等信用できない存在で、ザンスカール帝国とクロノクルに救いを求めたのも仕方がなかった訳です。ここら辺のカテジナの心情を上手く表現できなかった(深く読んでようやく理解できるようにしてしまった)製作サイドの責任もあるのですが、「カテジナ=悪」という先入観を持って「Vガンダム」を見てしまうと富野さんの描きたかった事が見えなくなってしまうと思うのです。

 ことぶき先生のフォローをすると「カテ公」というのは誰もが覚えやすいキャッチーな言葉で発明と言っても過言ではないと思います。「Vガンダム」のパロディとして何ら恥じる事はありません。ただ憂慮しているのはパロディでしかない「カテ公」が大本の物語を上書きしかねないほど影響力を持ってしまった事なんです。見る側が「カテジナ=悪」と決めて見るのはたしかに解りやすいのでしょうが、それはある意味考えることから逃げてしまっているのではないでしょうか?

 もう一つパロディがらみで憂慮している例をあげると「シャアはロリコン」であるというのがあります。これはシャアがララァ・スンと交際していた事から来ているのですが、ファーストガンダムだけを見るとそう取られても仕方のない所があります。しかし「Zガンダム」でのレコア、「逆襲のシャア」のナナイを見るとロリコンのそしりを受けるのような関係ではないのです。「逆襲のシャア」のクエス・パラヤとの関係も終盤で地球に落下するアクシズでアムロとシャアの会話をきちんと読めばシャアにおいてのクエスは優秀な兵士でしか無く、恋愛対象どころか父親代わりにもなろうとしなかった事が解ります。さらにここでシャアは「ララァが母」であったと告白します。つまりシャアはむしろマザコンで、その対象がたまたま年下の女性であったと考える事が妥当なのです(これはこれでゆがんでいますが)。

 「シャアはロリコン」という構図は非常に解りやすくネタとして使いやすいためガンダム芸人さんやガンダム漫画家さんがパロディとしての二時創作で使う分には全然OKだと思います。ただ、たかだかパロディの産物をガンダムの物語と同列に並べるのはどう考えてもおかしいと思うのです。

 もしかすると僕の解釈不足でもしかするとカテジナは悪かもしれないし、シャアはロリコンかもしれません。しかしせめて余計な先入観は捨ててニュートラルに見て欲しいと、これからのファンには対しては切に願うのです。賢い受け手であってください。  

Posted by 天野"kevin"達也 at 00:14Comments(0)Vガンダム

2012年11月18日

「機動戦士ガンダム宇宙世紀の軍装」購入

 アスキー・メディアワークスから発売中の「機動戦士ガンダム宇宙世紀の軍装」を購入して来ました!


 まージーク・ジオンでもなく、ミリタリーファンでもないVガンダム馬鹿の僕としてはザンスカール帝国の軍服も出ているから購入したようなもんですけどね(ダメナヒト)。


 しかしF91のクロスボーン・バンガードの軍服が貴族主義らしく装飾等に凝っているのに比べると、ザンスカールの軍服はシンプルな作り。これは設定うんぬんよりも、一手間かけられる劇場用作品と、時間に余裕のないTVシリーズの違いが一番の理由なんでしょうね。それとこの「宇宙世紀の軍装」を見て今更ながら気が付いたんですがザンスカール帝国の軍服には階級章の設定が無かったんですね。肩の部分(肩章というんですか?)が「一応」階級を示していたようですが、きちんと描かれる事はなかったはずです。Vガンダムは元々キャラクターに影を付けない等、作画面での手間を省く配慮がなされているんですが、これもその配慮の一つだったんでしょうか?



 ザンスカール帝国の軍装の一覧を見ていると奇異な物を発見…。

これは軍装ぢゃなくて水着w!
シリーズ終盤に出てくる「水着のお姉さん達・ネネカ隊」なんですが、これを軍装に入れて…良い物かどうか(うーん)。いや、男臭い特集本の中に入ってきたさわやかな風な感じで「ありがとう!」ではあるんですけどね(苦笑)。

 ファーストガンダムからVガンダムまでの宇宙世紀の軍装のすべてを収めた(もちろんティターンズ・エゥーゴ・ネオジオンも収録)「機動戦士ガンダム宇宙世紀の軍装」は2,310円です!ガンダムエースでおなじみの夏元雅人先生、Ark Perfomance先生、曽野由大先生もゲストでイラストを描いています!
http://www.gundam.info/topic/7865  

Posted by 天野"kevin"達也 at 08:30Comments(0)Vガンダム

2012年09月24日

VガンとGガンと逢坂さんと

 デアゴスティーニから「ガンダムパーフェクトファイル」が週刊で出ているのですが、この本、作中に出てくる細かいキャラクターにも焦点を当てるために特集本でも取り上げないような細かな資料が載せられたりするのでVガンダム好きの僕としてはなかなか油断できない本だったりするのです。



 47号はGガンダムをメインにプラスVガンダムがある構成。表紙がマスターガンダムとマスターアジア。あ、熱い(笑)!他にも「シャッフル同盟」やモビルファイター、第13回ガンダムファイトについての解説があるのでGガンファンには是非押さえて欲しい一冊です。



 ちなみにVガンダムはシャッコー(敵方のモビルスーツ)と「リガ・ミリティアのメンバー」について。これもまた細かな話があってアイドルのカラオケディスクの中に主人公側リガ・ミリティアが暗号文書を潜ませているというくだりがあるのですが、そのモニターに小さく映っていたアイドルの絵が(笑)。



 記念すべき50号はほぼVガンダム特集。表紙はV2アサルトバスターガンダムですし、ゾロ改、ウッソ、シャクティ、マチス一家、地球クリーン作戦、V計画の解説も(涙)。またマチス一家とはマニアック。敵方ザンスカール帝国が地球撤退を決めた際に取り残された部隊のリーダー格であるマチス・ワーカー大尉とその家族に焦点を当てているのですが、このマチス大尉とその家族はその他のアクの強いキャラクターと比べるとやや埋没してしまいVガンファンでもうっかり忘れてしまいがちなのですが、実際の戦場で起きそうな悲劇を描いた骨太で隠れた名作を担当している家族なのです(第39話・第40話)。



 マチス大尉が乗るゾロ改のコクピットには家族の集合写真が貼ってあるのですが、今回の「ガンダムパーフェクトファイル」にはその写真のために描かれた鉛筆画が載っているんです。これ、始めて見ました!そして絵のタッチからキャラクタデザインの逢坂浩司さんの手による物でほぼ間違いないと思います。子煩悩だった逢坂さんは自分の子供をモデルとしてVガンに出てくる子供たちを描いたそうで、このマチス・ワーカーとレーナ・ワーカーの間にいる二人の子供も逢坂さんのお子さんを分身だと思うとなんかしみじみしてしまうのです。



 そういえば本日(24日)は逢坂さんの命日でした。Vガンダム・Gガンダム・ヒヲウ戦記でキャラクターデザインを勤めた逢坂さんがどのような思いを持ってキャラクターを作成したのかVガンダムを未だに追いかける僕としては当然興味がありますし、彼が在籍していた大阪のアニメスタジオ「アニメアール」の吉田徹さんと七井コム斎さん経由で懇意にさせて頂いている事を考えると限りなく細い物ではありますが縁を感じてしまうのです。

 逢坂さんが作画監督を務めた回で是非見て欲しいのはGガンダム最終回「ゴッドガンダム大勝利!!希望の未来へレディ・ゴーッ!!」とVガンダム32話「ドッゴーラ激進」ですね。Gガン最終回は絵のクオリティと芝居のテンションが素晴らしく「これだけでいいじゃん!これでお腹一杯になるじゃん!」となる回なのです。まぁ「ラブラブ天驚拳」はLDの今川監督のよるライナーノーツによると南プロデューサーも逢坂さんもかなり嫌がったらしいそうですが。というかこの二人だけでなく現場そのものが揉めたとか(苦笑)。まぁかなり恥ずかしいものねぇ。でも恥ずかしいからあそこが記憶にハッキリ残っているわけでもありますし…。

 Vガン32話は前半はアニメアール出身らしく(どういう意味だ)お遊びも交えたコミカルな回なのですが、後半からは一転してシリアスになり戦死したオリファー・イノエの遺骨をまく所でのキャラクター達のお芝居は見事と言うしかありません。妻であるマーベット・フィンガーハットのまばたきだけで悲しさを表現した所は必見です。

 

 逢坂さんに感謝と合掌を。  

Posted by 天野"kevin"達也 at 23:19Comments(0)Vガンダム

2012年09月08日

94年5月号アニメージュのVガンダム特集・その4

 「94年5月号アニメージュのVガンダム特集」もこれで最後です。その4は再び斉藤良一さんに戻り特集の総括となっております。

○94年5月号アニメージュのVガンダム特集・その1
○94年5月号アニメージュのVガンダム特集・その2(庵野秀明監督)
○94年5月号アニメージュのVガンダム特集・その3(幾原邦彦監督)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 『Vガンダム』は現在のTVアニメにおいて、もっとも過激かつ、ラディカル(注)な娯楽作品であった。とりわけ終盤の、ルペ・シノ、ファラ、カテジナと続いた女性たちのキャラクタードラマは、狂気にも似た、異様なテンションの高さで、圧倒的な迫力であった。ドラマ全体をふりかえってみても、いちばん特徴的なのは女性たちの過剰なまでの“母性”の存在だった--というわけで、またかと言われる向きもあろうが、最後もまた女性たちの話で締めたい。それが『Vガンダム』でいちばんおもしろかった部分であるのも、確かなのだから--。

ラディカル:急進的な。

 男性支配の終焉と、それに代わる女性原理による社会の再生は、最近の富野作品(注)でよく使われるモチーフだが、今回は一歩すすんで、その女性原理のあり方をめぐって、話が展開しているように見えた。(男性キャラの影が、また一段と薄いのはそのためなのだろうか……)

最近の富野作品:時系列から見るとF91と小説「ガイア・ギア」「閃光のハサウェイ」の事なのか?「女性原理による社会の再生」という点でやや弱い気がするのだが…。

 『Vガンダム』では、母系制社会の復活によって、文明の再編を目指すマリア主義が登場し、これが作品全体に氾濫する“母性”のバックボーンとなっている。しかし、このマリア主義にはどこか空虚な感じがつきまとう。それはマリアが本当の子供を持たない抽象的な“母親”だったためではないだろうか?彼女の“母性”は実の子シャクティを棄て、(事情はあったにせよ)現実の母親から“聖母”になったときにゆがんでしまったのではないか。現実の子育ての、痛みも苦労も喜びも、伴わない母性愛など、自己満足かマスターベーションでしかない。それはウッソの“母親”になろうとして、はたせなかったルペ・シノやファラも同じなのではないだろうか?

 この実体を持たない“母性”の間にあって、唯一、現実にカルルマンという子どもを育てているのがシャクティなのだ。彼女はその“子育て”という具体的な行動で、観念でしかないマリア主義を否定する。本当に人間を変えることができるのは空虚な言葉ではなく、現実に足をつけた生き方そのものであることを、身を持って証明するのだ。


 虚の“母性”である女王マリア。それに対するのが、現実にカルルマンを育てているシャクティだとすれば、“母性”そのものを否定するのがカテジナである。

 先の庵野さんの取材にもある通り、他の女性たちが、ウッソの母親になろうとするなかで、カテジナだけがウッソを避けようとする。それはもし彼女がウッソの愛情を受け入れてしまえば、ウッソがずっと年下である以上、カテジナは必然的にウッソの“母親”になってしまうからだ。彼女が“母親”になることを嫌うのには、さまざまな理由があるだろうが、やはり家族というものに対する嫌悪感、特に、男と遊んでいた、自分の母親への憎しみが根底にあるのはまちがいない。

 つまりシャクティとカテジナはともに母親に棄てられた(カテジナの場合は精神的に)という点で、実は共通する過去を持っているのだが、そのたどった道筋はまったく違うものになっていく。

 最終回のエピローグ。カテジナとシャクティの出会う場に、カルルマンが居あわせるのは、実に象徴的だ。なぜならカルルマンは、カテジナが棄てた子どもであるからだ。思いかえしてほしい。ウーイッグの爆撃で、母親を失ったカルルマンをひろい、カサレリアへ連れてきたのはカテジナだったのだ。しかし彼女はその世話をわずらわしがり、結局カルルマンをシャクティに押しつけて去ってしまった。カテジナはあのとき既に、“母性”を否定し、意識することなく自らも“子捨て”を繰り返してしまった。それが彼女の悲劇の始まりだったのか知れない。

 最後に少し余談めくが、考えついたことをひと言つけ加えたい。富野監督にとって“人間を描く”ということは、イコール“セックスを描く”ということなのではないだろうか。むろん極論ではあるが、それくらい富野作品において、セックスは重要な位置を占めている。もちろん、この場合の“セックス”とは行為のみを指すのではない。男が男であり、女が女である、そして人間は男と女で成り立っていて、誰も自分の性と、その意味するものを、無視して生きることは出来ない--そういうことである。あるいはそれこそが“人間の業”と呼ぶべきものであるかもしれない。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 斉藤良一さんによるこの文は以前紹介した庵野秀明監督による「母性を乗り越える少年の物語」の補足説明の意味合いがあり、また僕が書いた解説でも参考にさせて頂いたので、この「その4」ではこれ以上語る事が無くなってしまっているのですが、最後の「富野監督にとって『人間を描く』という事は『(性別という意味も込めての)セックスを描く』である。」という点は富野アニメだけに限った話ではなくあらゆる映像・舞台表現を語る上でも大事なポイントだと思います。

 アニメであっても実写であっても人間が演技する物を人間が見るわけで、描かれる世界がSFであったとしてもそこに自分と同じ物を感じる事が出来なければ見ている側は感情移入は出来ないし、描く側はドラマを生み出せないと思うのです。

 富野さんを語る上で「このキャラのおまんこ舐めれるのか?」というのがネタとしてよく登場します(「逆襲のシャア」のキャラクターデザイン、北爪宏幸さんに対して彼が描いたクエス・パラヤに対しての発言のようですが)。これは富野さんのエキセントリックな部分を象徴した発言として見られがちなのですが、「御飯を食べ、トイレで用を済ませ、お風呂に入る。そして好きな男性の前では濡らす事もある『生きた女性(人間)』としてきちんと表現出来ているのか?」という事が本来の意味なのでしょう。この話はどうしても「おまんこ」が前に飛び出してくるのでそこばかり強調されてしまいますが、富野さんの演出論を語る上でも、そして斉藤良一さんの説を裏付ける意味でも大切な物だと思います。

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 ところでこのインタビュー&総括企画において庵野秀明監督と幾原邦彦監督が登場したというのはとても興味深いことなんです。庵野監督はこのインタビューから1年5ヶ月後の1995年に「新世紀エヴァンゲリオン」を、幾原監督はほぼ3年後の1997年に「少女革命ウテナ」を世に放ちます。

 ウッソ(嘘)へのオマージュということで逆に主人公にシンジ(真実)という名前を付けた庵野監督。彼がVガンダムをとことん研究した結果、「エヴァンゲリオン」が出来たことは有名ですね。Vガンダムの「訳の分からない事の面白さ」等の良いところは引き継ぎ、序盤でのつかみとして弱かった部分を綾波レイやアスカ等の可愛らしいキャラクターと、舞台を学園物にするということで補完した結果、ヒット作になれたと思うのです。また富野さんと同様にシリーズ終了後に庵野監督が鬱病になった事は、それだけ彼がこの作品に魂を入れた結果の反動とも言えますし、それだけの事をしたからこそ単なる「Vガンダム」のコピーに終わらず、オリジナルな作品に成り得たのではないでしょうか(病気のことなのでこうなることはあまり「良い」、とは言えないのですが…)。

 幾原監督が「Vガンダム」を熱心に見ていたとは僕にとって実に意外でした(優れたクリエーターは頭にインプットするために常に色んな物を見ているものではありましょうが)。「ウテナ」にある小演劇的世界、そして「訳の分からない事の面白さ」はどちらかというと富野監督よりも「うる星やつら2」「御先祖様万々歳」「天使のたまご」等々の押井守監督からの影響が大きいと思っていたからです。事実ネット等で調べてみると押井監督から影響を受けた発言があったようですし。ただ、幾原監督が影響を「受けたであろう」押井監督の作品達は特定の客層に向けて製作された劇場用作品、もしくはOVA作品で、一般のお客さんも見る機会があるTVシリーズではありません。当時「訳の分からない」作品をTVシリーズでやることに対してどのクリエーターも、プロデューサーも躊躇(ちゅうちょ)してたと推測できます。しかしそのような作品であってもTVシリーズでの開拓者として「Vガンダム」が、さらに興行的に「エヴァンゲリオン」がやれる事を証明した土壌があったからこそ幾原監督が「ウテナ」をやれた面は否定できないと思うのです。その意味では「ウテナ」は「エヴァ」のように直接的では無い物の、間接的には「Vガンダム」から影響を受けたと言えるでしょう。

 しかしここまで来ると「ウテナ」における「Vガンダム」の直接的な影響も探してみたくなるのですが、「エヴァ」が「Vガンダム」と「ウルトラマン」直系の比較的わかりやすい「息子」であるのに対し、「ウテナ」は押井守、富野由悠季、出崎統、J・A・シーザー等々と親が沢山いる複雑な家庭(苦笑)から生まれた「娘」という感じでルーツを探すのが非常に難しい!こればかりは幾原監督に直接聞くしかないのは残念な点ではあります。あ、でも姫宮アンシーのキャラクターとポジションはシャクティと似ているような…(妄想妄想)。  

Posted by 天野"kevin"達也 at 00:05Comments(0)Vガンダム

2012年09月07日

94年5月号アニメージュのVガンダム特集・その3

 さて半年も置いてしまいましたが「94年5月号アニメージュのVガンダム特集」の続きです。庵野秀明監督に続くのは「セーラームーン」「少女革命ウテナ」「輪るピングドラム」の幾原邦彦監督へのインタビューです。

○94年5月号アニメージュのVガンダム特集・その1
○94年5月号アニメージュのVガンダム特集・その2

 半年も置いてしまったのは幾原監督に関する資料が思ったより少ないことと、僕自身が監督の作品をほとんど見ていなかったからです(苦笑)。なんとかまとめまで仕上げましたが…。兎に角「見て下さい !」。
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勝利(ヴィクトリー)こそテーマ

 まず、『ヴィクトリー』というタイトルと、そして主題歌(注)を耳にしたときに、富野さんの、この作品に対するスタンスというか、覚悟を強く感じましたね。

主題歌:前期オープニングの「STAND UP TO THE VICTORY」の事。作詞は井荻麟(富野由悠季)。

  富野さんというと、あれだけ多くの作品を手がけ、そして業界でトップを走りつづけてきた方ですよね。その、クリエイターとしては、すでにかなりの高みに達した方が、今までのガンダムをチャラにして、新たに“ヴィクトリー”という名のガンダムを作ろうとしていることに驚きました。

 “ヴィクトリー”、つまり「勝つ」ということにキーワードを設定したところに、富野さんの力強い意志を感じたのです。

 僕自身が今アニメを作る立場に身をおいてみて、この業界に感じるのは、業界全体が長く暗いトンネルに入っちゃったようなムードなんです。でも、そのムードというのは、昨日や今日はじまったものじゃなくて、たぶん富野さんが最初の『ガンダム』をつくられた時、十数年前からあったものなのでしょう。富野さんはおそらく、誰よりも強くそのトンネルの暗さを感じていて、それを打破すべく最初の『ガンダム』をつくられた。そして今回の『ガンダム』でもそのスタンスは変わりなく、いや、これまで以上に強く昇華されていて、それが『ヴィクトリー』というタイトルに結実した。そう、感じましたね。

 もともと富野さんの作品は好きなんですよ。クリエイターとして、富野さんに対するあこがれは、今もありますね。僕はティーンエイジャーの頃、アニメというのは、原作の漫画家さんが全部作っていると思っていたんです。たとえば、『宇宙戦艦ヤマト』なら、松本零士さんが一人でやっていると思ってましたね(笑)。富野さんは僕らにとって、アニメーションもディレクターという立場の人がフィルムを作っているんだということを認識されてくれた(注)最初の人ですね。メディアに対する接し方もふくめてね。僕も富野さんがいなかったら、この業界入っていなかったかも知れない、と思います。富野さんの存在自体が、ぼくらの希望の星のようなところがあった。いろいろとタブーを打ち破ってきた人ですから。あれが許されるなら、オレたちだって(笑)ということを常に感じさせてくれる方なんです。


されてくれた:「させてくれた」の間違い?

 今、僕たちがつくっている作品が、受け手であるティーンエイジャーたちに、どの程度、志(こころざし)を与えているのかと考えると、あらためて富野さんの仕事の偉大さを痛感させられますね。少なくとも、僕の作品は、若い人たちがこの業界に切り込みたくなるような活力を与えているとは思えないんです。

 最後に、作品への個人的な感想を言わせてもらえれば、あのクジラの骨の話が良かったなあ……。あと、オデロには生き残ってほしかった(笑)。
(3月14日、東映動画近くの喫茶店にて談)


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 作品の評価は人それぞれにあるでしょうが、「Vガンダム」「Vガン」という言葉が定着し過ぎて一つの単語になっているために「ヴィクトリー」という意味を特に考える事が無くなっています。思い返すと「新しいガンダムは『Vガンダム』です。」と発表された時に「V」という文字は「コン・バトラーV」と「ボルテスV(これはファイブですが)」というサンライズ作品で、しかも70年代で使っているために少し格好悪さを僕は感じていました。それは富野監督も承知の上だったようで

今回、タイトルに「V(ヴィクトリー)ガンダム」なんて恥ずかしい名前をつけたのも、実はそこ(過去のガンダムシリーズと決別し、テレビアニメの原点に戻って楽しいロボット物にしたい)に関係してくるんです。
(93年ニュータイプ4月号での富野監督インタビューより)

と語っています。マニア寄りで高年齢化した作品になっていた「ガンダム」ではなく子供向け「テレビアニメ」としての原点回帰を目指して、そして幾原監督の指摘が正しければ富野監督がこの作品で「勝利」する意気込みという二つの意味での「ヴィクトリー」だったのではないでしょうか。
 
 しかしその「勝利」という強く高い意志を持っていただけに製作に対する横やり、結果の出ない視聴率、サンライズがバンダイの傘下に入ることを知らされていなかった事などから富野監督はシリーズ終了後に鬱病になってしまったのではないかと思うのです。

 幾原監督がこの当時(94年)「アニメ作品がティーンエイジャーたちにどの程度こころざしを与えているのか。」という危惧は今も継続、いやむしろ酷くなっているかもしれません。深夜アニメの登場で枠そのものは増えたように見えますが、それは結局一部のアニメファンだけに向けたものではないのか?実写、TV、映画といったすべての映像表現という枠で考えるとアニメは本当に新しい事が出来ているのか?サブカルチャーとしてもてはやされた事に甘えたままなのではないか?

 ディレクター(監督)としての富野さんから影響を受けた点も興味深いです。もちろんアニメクリエーターとして富野さんに影響を受けなかった人はいないと思うのですが、試写会で喋ったり、メディアに出てインタビューを受ける「宣伝マン」としての監督に影響を受けた点では幾原監督は希有な例じゃないのかな(幾原監督はメディアに出る時に髪の毛や服をヴィジュアル系バンドのようにして登場することで有名)。やはり監督の顔が見えるのと見えないとでは製作資金を集める点でも、お客さんを集める点でも、広告の面でもかなり違ってきますからね。

 後、最後に幾原監督があげた「クジラの骨の話」。これは第37話の「逆襲ツインラッド」の事だと思われます。今まで宇宙で住んでいたエリシャ・マルチナ姉妹が打ち上げられたクジラ達の骨から出る腐敗臭に怯える話で、地球に住むと言うことはクリーンルームのような環境下にあるスペースコロニーとは違うという事、そして海洋生物が大量死しているのは地球がそれだけ核汚染している状況である事を表現した深い回であります。



 その一方で、母親を亡くしたばかりのウッソを励ますためにオデロ達ホワイトアークの少年達は釣りをするのですが、ここでV2ガンダムにも釣りをさせます。戦闘兵器であるモビルスーツに他の用途をさせることは後のターンA(牛を運搬、洗濯機、壊れた橋のサポート等)にも通じる行為なのがなかなか興味深い点でもあるのです。

  

Posted by 天野"kevin"達也 at 01:05Comments(0)Vガンダム

2012年05月22日

ガンダムパーフェクトファイル35号!



 本日発売のデアゴスティーニ社「ガンダムパーフェクトファイル」第35号を買ってまいりました。これを買ってきたということはそう!
Vガンダムネタが出ているから!

今号はザンスカール帝国の「人喰い虎」の二つ名を持つゴッドワルド・ハインと


彼が乗るモビルアーマー「アビゴル」が出ています。


ゴッドワルドの解説で「はっ。」と気が付いたのですがVガンダムの世界で「赤い彗星」のように敵味方に知られる二つ名が付いているキャラクターって彼だけなんですね。地球連邦軍は弱体化し、きちんと役名があるモビルスーツパイロットはほぼいない状態です。その弱体化した地球連邦にザンスカール帝国は宣戦布告するわけですが、インパクトのある兵器を持ち出す一方、パイロットのレベルは総じて低かったように思われます。さらに主人公側のリガ・ミリティアはレジスタンス活動(ザンスカール側から見ればテロリスト)であるために隠密行動を取っている以上パイロットの顔をあえて消している状態。さすがに主人公のウッソはあまりのスペシャル振りと終盤彼専用マシンと言えるV2に乗り込むためにザンスカールでも有名人になってしまいましたが、それでも二つ名は付きませんでした。

 シュラク隊のユカ・マイラスには「死神」とい二つ名と言える物があるにはあるのですが、これは彼女がいた部隊がことごとく全滅したことから仲間から付けられた物なのでどちらかというとあだ名の方が近いかもしれません。

あ!またVガンダムについて熱く語ってしまった…。

 反省反省。さて他には何が出ているんでしょうかねー。

誰?こいつ?


うわっ、弱っ(苦笑)!

なんか男性ストリップみたいなのも出てきたで…(汗)。

ロアビィ・ロイと言うんですか…。ガンダムX見ていないので初めて知りました。

というわけでゴッドワルドの魅力満載の(違う違う)「ガンダムパーフェクトファイル」第35号は只今発売中、590円です!  

Posted by 天野"kevin"達也 at 21:54Comments(0)Vガンダム

2012年04月29日

シュラク八幡宮


逢坂…じゃなくて大阪堺市のシュラク八幡宮に来ています。ウソです!ウッソ・エヴィンです!!百舌鳥八幡宮に来ています(スイマセン、Vガンダムバカで。ちなみに「もず」=シュラクということです)。

本当の目的は堺シティマラソンに参加して10km走る事だったんですけどね。タイムは58分59秒でした。ぼちぼち。でそのついでの参拝なのです。

百舌鳥八幡宮のHP  

Posted by 天野"kevin"達也 at 14:16Comments(0)Vガンダム

2012年04月26日

ガンダムパーフェクトファイルにVガン登場!

 さてデアゴスティーニから出ている「ガンダムパーフェクトファイル」。創刊からしばらくは人気のあるファーストガンダム、OO、現在進行形であるユニコーンが締めていたのですが、次第にマラソンで言うところの第二集団のZ、SEEDに、そして人気がない…というと語弊があるのですが(苦笑)ここにきてようやく「いけいけ僕らの」Vガンダムが登場しています。



第26号はリガ・ミリティアのカミオン隊。

おおっ、オイ・ニュング“伯爵”!

オイ・ニュングといえばこれなんでしょうけど…

Vガンダムトラウマシーンの一つである拷問シーンですねぇ。

第27号はV2アサルトガンダム、ウッソ・エヴィン(名言集)、エンジェルハイロウ作戦の三つ。


そして24日に発売された第31号はシュラク隊(涙)!


そしてザンスカールのモビルスーツ、シャッコー!

隣がGガンダムのマンダラガンダム(苦笑)!いやバカにはしていませんよ。こういう所までカバーしているのはいい仕事をしている証拠だと思うのです。

さてVガンダム変態としては他の情報はいらないのでVガンダムの所だけ切り離して…

ポイ!
ゴミ箱行きはウソですけど、きちんとリサイクルの方にまわさせて頂きました。セイラさんとかデルタプラスとかノーベルガンダムとかもあったんですけどねー。ここは思い切って断捨離しなければ。

 3冊購入した「ガンダムパーフェクトファイル」の感想としては「情報」としてはファンなら知っているレベル。しかし設定資料等、製作サイドの肉筆が感じられる物が見られるのはいいですね。シャッコーといった正直マイナーの部類に入るモビルスーツなら余計に目にする機会が少ないでしょうから。

 ちなみに切り取った「オレVガンダム資料」はガンダム30周年の時に配布されたファイルケースに収納。

RX-78越しのV2アサルトがかっけーす。  

Posted by 天野"kevin"達也 at 00:52Comments(0)Vガンダム

2012年03月13日

94年5月号アニメージュのVガンダム特集・その2

 さて94年5月号のアニメージュVガンダム特集の続きです。今回は「エヴァンゲリオン」の庵野秀明監督へのインタビュー「母性を乗り越える少年の物語」です。

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こだわりに振り回されるキャラクターたち

 今の時代で、当たるアニメ作品の条件として「面白くない」というのがあると思うんです。内容も絵もクリーンで、人間のドロドロしたものがない作品のことです。まあ、今の日本では大量消費の時代が想像の必要を薄らげたし、表層的な人間関係が主流ですからね。クリーンなものがより受け入れられる、と思いもします。でも僕自身は、それが見えないと面白くない。そういうここ数年の風潮の中で、そのドロドロッとした部分を、ストレートに見せてくれたのが「Vガンダム」でした。

 「Vガンダム」に登場するキャラクターは、必ずなにか一つこだわりを持っていると思うんです。それにとらわれて振り回されていくという……。僕が「Vガンダム」がいいなと思ったのは、(第6話の「戦士の輝き」で)ワタリー・ギラ大尉が、ウッソに言う「こんなことをしていると、みんなおかしくなる。そうなる前にMSを降りた方がいい」というセリフを聞いてからです。そのセリフが暗に意味することを感じたときからですね。

 カテジナさんには、はじめから興味がありました。ああいうキャラって、富野さんの作品には必ず登場してきて、僕は好きなんですが。理想を振りかざして、それを達成する才能もないのに、口だけは言ってしまって、結局みんなを振り回してひどい目に遭わせるバカ女ですね(笑)。カテジナさんが出てきたときには、これはグー!だなと(笑)。やはり、シリーズ終盤では真打ちでしたしね。


ウッソは富野さんの理想の少年

 「Vガンダム」に登場する女性たちって、みんなウッソの母親になろうとしていたと思うんです。みんな母性の象徴のようなキャラだった。その母性にはふたつの側面があると思う。まず絶対的な愛で、男に逃げ場所を作って包み込んでくれる面。それは同時に男にしがみつき、束縛し、呑み込んでしまうエゴな面でもあると。

 母親が母親であり続けるためには、その相補的アイデンティティとしての「子」が必要なんです。子どもがいない母親というのはあり得ませんから。自分の母性という物を保護するためには子供をつくらなくてはならない。「Vガンダム」って、そこから外に出ようとするウッソという少年の物語だったと思います。

 ルペシノも、ファラも、シュラク隊も、マーベットも「母」になろうとしています。でも、カテジナさんはウッソの母親になりたくなかった。憧れは邪魔臭かった。ウッソという「息子」は重荷だったんだと思います。その中でウッソは、父性にこだわっていますね。あなた方の子どもなんかになりたくない。束縛されたくないと。

 ウッソは富野さんの理想ですよね。こうありたいという。それが(現実に対する)絶望から出ているところがいいと思うんです。「~たい」であって「~なのだ」ではないんです。富野さんの話って「こうありたい」「人を信じたい」なんです。だから基本的に人を信じていないのではないか。そこの絶望度がものすごく強いので、逆に人を信じようと思い込まないと生きていけない。

 ウッソは最後までカテジナさんを信じていたかった。そういうキャラにウッソ、つまり「嘘」というネーミングをしてしまう、そんな絶望感が富野さんのそこに流れていて、そこが凄く好きなんです。なにか凄く乾いていて……。


富野さんの作品は本当のオリジナル

 それが富野さん自身のどこから来ているのかは分からないんですが、富野さんの私小説的なところから来ていることは確かだと思うんです。先ほど話したワタリー・ギラのセリフの話などは、富野さんの置かれているアニメ制作の現場に対する声だと思います。僕から見ると「Vガンダム」のキャラたちは、みんなアニメ関係者か、アニメファンに見えてしまうんですが……。僕は本来、創作のオリジナルというのは私小説にしかないと思っているんです。本で読んだり、人に聞いた知識は所詮、借り物でしかない。自分が作家性を持ってオリジナル作品を作ろうと思ったら、「自分」というものを、包み隠さずさらけ出すしかないと思うんです。その点で、富野さんの作品は本物のオリジナルだと思う。

 富野さんはアニメ界でそれができる、それも商業作品として成立させることができる、数少ない一人であり、その作品が毎週テレビで見られたという、この一年間は、僕にとって幸せでしたね。
(3月22日ガイナックスにて談)


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 庵野さんのVガンダムに対する洞察力は凄いとしかいいようがありません。しかもこれが最終回(3月25日)が放送される直前での考察ですからね。クリエーター仲間達との語り合いから見つけた点もあったでしょうし、スタッフとしてガイナックスが関わっていた事から資料に触れることが出来たことも考慮しないといけないでしょうが、それでも凄い。

 シュラク隊やルペ・シノ、ファラ・グリフォン達がウッソの母親になりたがった点は誰もが気づく点ではあるのですが、カテジナが母性を拒否している点はこのインタビューを読むまでは解りませんでした。カテジナというのはクロノクルというパートナーがいることから「女性」ではあろうとするんですが、インタビューにあるとおり母性から逃げ、男性中心である軍人になる、どこか性別の概念を離れた「ニュートラル」な存在に見えます。カテジナのような、と言うといろいろ語弊があるのですが(苦笑)このような仕事を続け、結婚はしない女性達は特に今、多くいるように感じます。

 富野さん自身、女性が職業につくことに対して否定はしないと思うのですが、その一方で「自然の摂理」から「女性が子供を産まないというのはどうなの?」と疑問を投げかけているように思えます。

 ただカテジナだけが異常かというとそうではなく、他の女性達を見ていくと…。

○シュラク隊やルペ・シノ達「生んでもいないのにウッソの母親になろうとする」
○女王マリア「子供(シャクティ)を捨てておきながらザンスカール帝国の母になる」
○シャクティ「カルルマンを育てたり種を植える行動から一番の母性の持ち主ではあるが、本人はまだ少女」
○ミューラ・ミゲル「母親でありながらウッソが一流の戦士になるように育て、ザンスカール帝国が地球に侵攻してきた際には子育てを放棄し、リガミリティアの活動とMSの開発に没頭する」


という状態で皆、母性という点でどこかおかしい物を持っています。これでカテジナが異常と言うなら
この作品に出てくる女性は
皆、どうなのよ?という
話になるんですが(苦笑)。


誇張して「皆」と言ってしまいましたが、まともな女性キャラクターも数が少ないながらも存在しています。パートナー、オリファーとの子供が出来たことでウッソへの気持ちが完全に切れたマーベット、ウッソのことを母性や恋愛対象では見ていなかったマルチナ・エリシャ姉妹とスージィ、地球に取り残されたザンスカール帝国の兵士、マチス・ワーカー夫人のレーナ・ワーカーの5人です。ただ、このまともな中でもマーベット、マルチナ・エリシャ姉妹、スージィはリガミリティアの戦闘員・準戦闘員だったことを考えれば、本当の意味でのまともな女性はレーナ・ワーカー一人になってしまうのですが…。

 この「ゆがんだ母性」というテーマは庵野さんの「新世紀エヴァンゲリオン(95年)」に引き継がれる事になります。

 僕はそれなりに映画は見ている方だと思うのですが「創作のオリジナルというのは私小説にしかない」という点にも納得。貴族や裕福な家庭出身の監督は貧乏人の物語を描くことは出来ないし、その逆もしかり。戦争映画にしてもアメリカが常に戦争をしているからこそアメリカ人が描くのが得意とも言えます。戦後日本の戦争映画に迫力があるのに、最近の作品にそれがないのは監督や役者に第二次世界大戦の経験と記憶が関係してるのも大きくあるのでしょう。

 ただ、富野さんは「Vガンダム」のモデルになったボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を実際に経験した訳ではありませんし(かなりのリサーチはしたでしょうが)、戦後生まれでもある以上、「Vガンダム」の戦争が富野さんの私小説と言うには無理があります。となると、この当時の富野さんの中にあった「熱い想い」をガンダムワールドに変換することで「Vガンダム」が出来たのではないか、そしてこの「熱い想い」は当時のアニメの現状、現場、ファンに対しての「アニメの表現はこのままで良いのか?」という物ではなかったのか、と庵野さんは推測しているのだと思います。この「熱い想い」に関しては「その3」での幾原邦彦監督へのインタビューでも触れることになるので続きはそちらで。  

Posted by 天野"kevin"達也 at 08:09Comments(0)Vガンダム

2012年02月21日

94年5月号アニメージュのVガンダム特集・その1

 先々月、アニメージュ93年6月号で行われた富野由悠季監督と押井守監督の対談からVガンダムを検証する作業をしてみたのですが、他にもVガンダムで面白そうな記事が出てきたので取り上げて見たいと思います。今回は同じくアニメージュの94年5月号の「今だから語ろう![Vガンダム]のおもしろさを」になります。後にVガンダム旧DVD-BOXに付録として付いてきた合計324Pもの解説本を編集することになる斉藤良一さんが執筆、そして「エヴァンゲリオン」の庵野秀明監督、「少女革命ウテナ」「輪るピングドラム」の幾原邦彦監督へのインタビューで構成されています。まずは斉藤さんによる「Vガンダムはどう見られていたのか?」です。これはVガンダムの視聴者層についてバンダイビジュアルの方に取材しています。

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 「Vガンダム」は元々、リアルロボット物としての『ガンダム』を知らない『SDガンダム』世代をターゲットに、スタートした企画だった。『SDガンダム』を卒業子どもたちに、1作目のような、リアルタイプ『ガンダム』をぶつけてみようというのである。ではその結果はどうだったか?残念ながら視聴者はあまりよくなかったし、AM(注)誌上での反応も期待したほどではなかった。しかし人気がなかったのか、といえばそんなことはない。『ニュータイプ』誌上では常に人気作品だったと聞くし、バンダイから出ているTVシリーズのビデオソフトも順調に売れているようだ。ではどのような層が『Vガンダム』を支持していたのだろうか?バンダイビジュアルの高梨実さんに聞いてみた。

「ビデオグラム(注)はVTR・LDあわせて、各巻平均で1万5千本くらい売れています。通常、TVシリーズをソフト化したものとしては、例えば『アイアンリーガー』(注)などでも4千本くらいですから、かなりいい数字ですね」


AM:アニメージュ
ビデオグラム:販売用に製作されたソフトパッケージの総称
アイアンリーガ:「疾風!アイアンリーガ-」の事。Vガンダムと同じく93年~94年にテレビ放映されたサンライズ製作のロボットアニメ

 アンケートによれば購買層の中心は20代前半の男性。ちょうど中学生の頃に『Zガンダム』『ガンダムZZ』を見ていた世代だ。ちなみに“ガチャポン”のガンダムが発売され、“SDガンダム”の商品展開が始まったのが『ZZ』の放映中だから、SD世代とはわずかにズレている、レンタル向けに行ったキャンペーンのプレゼントでも、応募は小さい子どもか、20代で、SD世代に入る現在の中高生からの反応は少なかったとか。では『Z』世代は『V』に何を求めているのか?

「購入の動機でいちばん多いのは、やはり“富野監督の作品だから”というものですね」というのは『Vガンダム』を担当する寺田将人さん、特にキャラクターやMSが熱狂的に支持されているわけでもない。富野作品に慣れ親しんできた世代が“富野ブランド”として支持している部分が多いのでは?と寺田さん。逆にいえば“富野アニメ”の洗礼を受けることのなかった若い世代には、理屈っぽい『Vガンダム』がなじめなかったのかもしれない。アニメージュ本誌によるアンケートでも『Vガンダム』の支持層は、読者の中心が14~16歳(男女比は半々)に対して、18~20歳(男性中心)がピークで、やはり高目となっている。

 かつて最初の『ガンダム』のヒットの後、その影響を受けて、作品のテーマ性やドラマ性を重視した、いわゆるリアルロボット物が輩出した時代があった。しかしブームは去り、娯楽第一主義の作品があふれる現在『Vガンダム』のような作品は、ことにテレビでは、他に皆無といっていい。一見して時代に取り残されたかにもみえるが、はたしてそうなのだろうか?『Vガンダム』には他では決して見出せない、真剣な“おもしろさ"がある。それをこれから検証してみたい。


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 今はどうか解りませんが、当時(93年~94年)のアニメージュという雑誌は「アニメを知ってもう少し先の世界を知りたくなった」層、記事にもあるとおり中学生くらいが中心だった記憶があります。ただ「男女比は半々」とありますが実際の所「女性6の男性4」くらいだったのでは?対して角川書店の「ニュータイプ」はもう少し上の層、高校生や大学生の男性が読者層だったと思います。「Vガンダム」が「アニメージュ」でウケが悪く、「ニュータイプ」で良かったのは当然…なんでしょうね。

 ありがたいことに93年から94年までのアニメージュがほぼ残っているので、ここから読者による「ベスト10キャラランキング」を見てみたいと思います(ベスト10なんだけど30位までカウントしているのは何故…)。ちょっと意地の悪い比較になるかもしれませんが同時期に放映されていたサンライズ製作の「勇者特急マイトガイン」の旋風寺舞人のランキングもあわせて紹介します。

1993年6月号 ウッソ圏外 旋風寺10位(134票)
1993年7月号 ウッソ圏外 旋風寺15位(94票)
1993年8月号 ウッソ圏外 旋風寺15位(89票)
1993年9月号 ウッソ圏外 旋風寺15位(86票)
1993年10月号 ウッソ圏外 旋風寺15位(85票)

1993年12月号 ウッソ23位(53票) 旋風寺10位(149票)
1994年1月号 ウッソ28位(48票) 旋風寺18位(85票)

1994年3月号 ウッソ25位(45票) 旋風寺19位(84票)
1994年4月号 ウッソ26位(46票) 旋風寺22位(61票)
1994年5月号 ウッソ20位(89票) 旋風寺30位(37票)(注:この号はVガンダム最終回を迎えての結果だと思われます)
1994年6月号 ウッソ23位(80票) 旋風寺圏外

 一部欠番があるのが残念ですが、これを見るといかにVガンダムがアニメージュの読者層に序盤、ウケが悪かったことが解りますね(苦笑)。ただどういう訳か93年12月号(実質10月頃か?)からウッソに45票前後、集まりだしているんですよねぇ。これはウッソというよりようやく出来たVガンダムファンによる組織票と見るべきなのでしょうか?ただ票が集まりだしたと言っても一番票の多い94年5月号でもトータル3884票あるうちの89票なので2.3%程度の支持なんですが…。

 斉藤さんの文からかけ離れてしまったので戻しますが、この文の中の「Z世代がVガンを支持している」的な表現は、放送終了して間もない時期であるとしてもちょっと間違っている気がします。文章として解りやすく「Z世代」という枠を作りたかったというのは理解できるのですが、富野アニメの洗礼を受けていないからこそVガンダムにはまった人もいる感触が僕にはありますし、Zが好きでもVガン嫌いになる可能性は大いにあり得るので(苦笑)ちょっとこの枠のはめ方は無理があるような。たまたまVガンダムの支持層が「Z世代」と言われる年齢層と一致しただけじゃないかと思うのですが。

 しかし「キャラクターやMSが熱狂的に支持されているわけではない」のにビデオの販売が好調だったという証言には注目しなければならないですね。富野さんがガンダムシリーズのフォーマットは使いつつも、ガンプラ等を購入する従来のガンダムファンではなくそれ以外のお客さんを狙っていた事がきちんと結果として出た話だと思います。  

Posted by 天野"kevin"達也 at 00:05Comments(0)Vガンダム

2011年12月28日

1993年のVガンダム・その3

 さて「1993年のVガンダム」もこれで最終回でございます。
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富野:と、すると今度は気になるのは、そのように「パトレイバー2」を演出しようとしている押井監督にとって、じゃ、「劇」とか「芝居」というのはどういうふうに位置づけされるものなんですか。

押井:それはやはりケースバイケースという気がしています。この作品だったら劇的なドラマの要素をここまでは入れておこう。この作品の場合には基本的にいらないとか、逆にそれだけでいいとかいうことがあり得ると思う。実際僕はそういうふうにやってきたつもりなんです。

実は今度の映画には、先ほど言ったような要素とまったく反対の要素、メロドラマが入っている。おじさんとおばさんの三角関係をベースにしているです(笑)。僕はもともと男と女のどうこうというのは、基本的にまったくダメで、なのになぜ入れたかというと、結局、作品としての根拠なんですね。成立させるための根拠であると同時に、お客さんがその世界に入るための根拠でもある。

それで今回の作品では、そのドラマ的な部分を「要素」そのものに実は分解してしまった。ドラマを目指していませんと、ハッキリ言ってもいいくらい。でもそれはそう見えるかどうかわからない。僕がやれることというのは、自分の中で基準を設けるだけのことで、その作品をお客さんがどういうふうに見るかということは結局立ち入れない。前作をやってつくづくそう思ったのだけれど。まったく違った種類の映像を企んでいても、お客さん、特に若い観客というのは受け取りたいように受け取る。よほど露骨にそれをやらない限りは。

富野:勝手なものだしね。

押井:やはり僕が思うような見方をしてくれる人は少ないですね。逆にそれはわかる人にはわかるという部分をどこの枠で用意するかということ。実はそれをやるほうのエネルギーのほうが膨大に必要だったりする。

富野:もっと素直にお話を作ればいいじゃないですか。年長者から言うと。

押井:えぇ、それは必ずそれは言われる。一言に劇映画でいいじゃないかと、要するにドラマなんだよと。僕に言わせると、
それだけをやるにしては映画というのはちょっともったいないなと。それだけをやるためにこれだけのエネルギーを使うのはちょっとイヤだよというのと、二つあるのです。



富野:だから、それはもう一つ、これは本当に年長者という言い方になってしまうけれど、やはり若者を、ドラマをバカにしているよ、もう少し大事にしてやって、もっとおもしろいものだよと(笑)。

押井:ドラマはドラマで好きなんですよ。好きなんだけれども、ドラマということを目指すのであればテレビシリーズのほうがいいような気がする。

富野:いいカンしてますね!僕は今回「Vガンダム」で初めてそれがわかったんだもの。本当の意味のドラマをやろうとすると映画の2時間なんていう時間では短編でしか、かすめるくらいにしかできないのに比べ、テレビの週1回のペースというのは腹がたつ実情だけれども、実はあの時間がいるんですよね。

押井:今の僕はテレビシリーズをやれるとは思えないから、「Vガンダム」は大変なことだと思いました。テレビシリーズの1話を作るのも劇場の作品1本作るのも過程としては同じ過程を全部踏む。それを毎週やらなくてはならない。僕がテレビシリーズをやれないのは、まず、体力的にそれを耐えられるかという問題。それに毎週それを1年間やってトータルでどういう成果があるのかということと、1年間一つの現場で、一つの映画を目指してやるのとどちらがコントロールしやすいかということがある。僕にとってはドラマというのは、必ずしも本筋ではないから。もしドラマを、キャラクターを目指すのであれば、多分「パトレイバー」のテレビシリーズをやっていました。

富野:僕は逆に7年くらいテレビシリーズをやってなくて、ものすごく気分が晴れたという部分と、逆にすごくもの寂しいということを感じた。そして今テレビというのは、とんでもなく過酷な仕事だと痛感しています。こんな仕事をやっていたら、お金持ちになっている暇などはないですねというくらいひどい仕事。でも7年くらい、なんとなくもの寂しかった気分が、ここで今、とてもうれしがっているわけです。それは押井さんが言ってくれたとおりなんです。

どういうドラマができるか、このキャラクターがどういうふうになるのかというのを見るというのが、僕にとっても好きだったんだなと。僕にはキャラクターへの不安がないのです。これこれこうであるべきだというのを全部作らなかった。それで行く先々でどうなるだろうかと。これはやってみてのお楽しみというところでやっていくことが、かなり好きな人間なんです。ドラマを作っていくというほどたいしたことではないのです。ドラマがあるとするならば、やはりそういう部分を週ペースで1回くらい見るならばやはりそれは見ていきたい。そのことにひどく興味があるから、だからなんです。「映像」を作っている暇がない(笑)。そんなもので頭を使っていたら、死んでしまうというくらいに、ドラマによってしまっている。

押井:そういう楽しみはテレビでないとないですね。映画というのはキャラクターの結論まで決めてかかりますから。

富野:根本的に指向性が違いますよ。だからいいの悪いのでは、まったくないわけです。ひょっとしたら僕と押井さんは対極にいるのだけれど。だから逆にびっくりするのは押井さんが、よく「Vガンダム」の第1話を見てくれたなと。付き合い上とは言え、ひどく恐縮し、うれしくもあるんです。




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 TVシリーズと映画の違いがあるとはいえ、富野さんが「ドラマ」と「キャラクター」を前面に押し出しているのに対し、押井さんはそれらに対しては控えめである点が面白いですねぇ。そういえばこの「パトレイバー2」あたりから押井さんの作品からどちらかというと「テーマ」重視になってきた感じがします。「キャラクター」だけ見ても「パトレイバー2」や「攻殻機動隊」の登場人物達には本当に魅力がない、萌え要素なんかゼロに近いんですよねぇ(と、ここまで書き上げてウィキペディアの押井さんのページを見ると同じような表記があってビックリ)。

 逆に富野さんの「キャラクター」への優先度が高いのも興味深い!小説・漫画・映画・アニメ・舞台等々どんなジャンルであっても面白い作品であれば脚本段階でキャラクターが次第に勝手に喋ってくれる、という話を聞いたことがあるのですが、まさに「僕にはキャラクターへの不安がないのです。」という所は話数を進めていくたびにキャラクター(と声優さん)が成長していき、勝手に話を作ってくれる事を富野さんが狙っているし、期待している事の話だと思います。

 押井さんの「逆にそれはわかる人にはわかるという部分をどこの枠で用意するかということ。実はそれをやるほうのエネルギーのほうが膨大に必要だったりする。」というのも面白い。普通に見ては解らない、マニアしか気づかないような武器設定、舞台設定、時代設定といった物をきちんとしておかないと物語に厚みが出てこない、という事なんでしょうね。もちろん普通に見て解る表面的な部分も、このような裏設定的な部分もどちらも大事、という前提があることを忘れてはいけないと思いますが。


 さてさて自分が解釈しやすいように解析を始めたと言っても過言ではない富野×押井対談ですが、18年経過しているのにも関わらず読み応えがありました。僕としては未だに「Vガンダム」を総括できていない点があるので(だからこそ未だに追いかけてしまうのか?)、「Vガンダム否定論」を出来たことは収穫ではありました。ただ「Vガンダム」は富野さんが「天然ボケ」でやっちゃった感じがするので一生かかっても総括できないかもしれない(苦笑)。ただその「天然ボケ」の面白さを上手く庵野さんが汲み取って「養殖ボケ」したのが「エヴァンゲリオン」じゃないかな、と僕は見ているのですが、それは機会があればどこかで…。  

Posted by 天野"kevin"達也 at 00:05Comments(0)Vガンダム

2011年12月20日

1993年のVガンダム・その2

 さて前回の「1993年のVガンダム」の続きでございます。

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編集部:グチャグチャな現実と、それに肉薄されるアニメーション。しかし、それを見る今の子ども達がニヒリズム(注)に陥らないように、富野さんは「Vガンダム」を作っていかれるのですか。

(ニヒリズム:虚無主義。すべての事は無価値であると考えから、だからこそ今を積極的に生きるというタイプと、流れに任せてしまおうと考えてしまう消極的なタイプに分かれる。ここでは後者の事を指しているか)

富野:陥らないように作ることが、僕がアニメ作品を作っていくときの一番大事なことと考えています。これが大人対象の作品であれば、最初にそこに陥ります。一番楽だもの。そういう感性というのは僕自身、極度に持っているという自覚症状がありますから、それをどれだけ自制するかというところが、自分に客観的な節度をもたせることになっていたり、自分自身が大人として暮らしていくときに、実はヘタな演劇屋さんとかヘタな映画屋さんに落ちなかったという意味では、ひょっとしたらとても有難いことだったという気がしています。これは僕の生き方です。ほかの方は、冗談じゃない、そういうふうに商業ベースに見入(みいり)するというのが堕落なんだよという人は、当然いるでしょうが(笑)。

押井:結局映画というのは作る側の問題意識とは別個に、どう受け止められるのかという別の次元があると思うんです。映像自体は一種の情報で、それがどう受け止められるかによって性質が全部変わってしまう。実はニュース映像だろうが、僕らが作っているアニメ映像だろうが基本的にはあまり差はないんです。どういう場所でどういう人間が受け止めるかで質が決定されてしまう部分がある。映画館で見るという特殊な形式を除けば映像媒体がトータルに受け止められることは少ないのです。しかし映像は断片を見るだけでも価値をもってしまうから。

富野:特にこの20年くらいテレビがこうなってきてからは、まさにそうですね。



押井:テレビという媒体だけで話を限定しても、トレンディドラマみたいな曲がりくねった映像での「東京」も、バグダッドの映像も基本的には差はないですよ。そういうところにもう現実は来てしまって、そのことから、ある意味で逆算してものを考えるようになった。というのはどんなに映像に主観的に思いを込めても、どこかで分解されてしまう部分があるわけです。アニメというのは特にその傾向が当初からあった。

富野:あったからこそ実はそれを支えるために、僕の場合には映像論を全否定せざるを得なかったんです。どうしてかというと、テレビシリーズの製作状況では、自分は期待するようなきれいな絵なんてワンカットだって手に入らないと覚悟しなければいけなかったからです(笑)。だからもうコンセプトワークしかないということで、初めからドラマのロジック(注)勝負に入っている。だから僕は「映像」を作ろうとは思わなかった。

(ロジック:論理。ここでは物語における筋道と訳すべきか)



押井:そういう限界というのがあらかじめあることはわかりますね。だからむしろ「映像」を絞り込んでしまう。それは情緒とかそういう方向でなくて、要するにニュース映像と同じレベルで作ってしまっていいのではないかと。

富野:その意味はよくわかるのだけれども、それを観客にわからせるために、その映像をどういうふうにします?

押井:具体的にいうと、今回の「パトレイバー2」では全860カットの半分くらいはいわゆる劇として必要としている絵じゃないんです。要するにニュース映像に近い、状況としての映像なんです。だから繋ぎようによってはどうにでもなってしまう。そのへんでは結構苦労したのだけれども。やはり絵を描く側からはどうしてもその「映像」に一種の気持ちが入るのです。アニメーターは絵描きだから、いかにそれをそぎ落としていくかという苦労がある。今度の原画はしんどいと言われている。まあ、作業が楽しくないということで(苦笑)。

しかも、ニュースのような2次的映像を意識させるのはそれだけでは足りないからフレームワークが必要なわけです。それは劇中のモニターであったり、日常的なシーンであれ何であれ必ず額縁(フレーム)をいかに施すかということをやってみた。それが一つのアニメーションの表現の幅ということにも答え得ると思っているんです。

富野:方法論としてはそうでしょうね。一つの凡例が手に入れられるから。

押井:同時にそれが、その方法論が今回のテーマに必須だった。「戦争」というテーマそのものが、要するに「モニターの中の映像」というふうにいったらいいのかな。戦争が自分の外側にもなければ内側にもないという、こちらにも向こうにもないというか、要するに今の僕らが現実を見るとしたら、フィルターの間(あわい。物と物、時と時の間)にかかっている、境界線、幕に見ているんですよ。

モニターの蛍光灯だとか、絶えず、一種の幕を通してしか現実に触れざるを得ないところまできている。その幕を突き破ることは、もう誰にもできなくなっているのではないかと思う。「湾岸戦争」の例でも、あの時、実際にバグダッドに降り立っても多分その状況は変わらないという気がする。それは2次映像であれ、肉眼で見た光景であれ、その中にどれだけ差があるのだろうかということを最近考えてしまうんです。


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 冒頭のニヒリズム(虚無主義)の所は何回読んでも解釈に困るんです。「映像作家にとってのニヒリズム」ってなんなんでしょうねぇ。一つ仮説を立てるとしたら「Vガンダム」やその「Vガンダム」に影響を受けた「エヴァンゲリオン」のような「精神的にズシンと来る」作品という事も出来るんでしょうけど、でもそうなると富野さんはシリーズ序盤ではそうならないように考えていたという事になるし…(???)。

 その後に続く富野さんの「テレビシリーズにおける映像否定論」もなかなか興味深いです。富野さんとしては「Vガンダム」ではアニメーターさんたちに「楽に儲けて貰おう」という配慮でキャラクターに影を付けないように指示した話を聞いたことがあるんですが、「楽に~」とは別に「物語の方を引っ張るのはドラマでやるから絵はそんなに頑張らなくて良いよ」という理由もあったんですね。ただシリーズが進むに連れて現状に飽き足らなくなったアニメーターさん達が絵のクオリティを上げてしまう運命が待ち受けているのですが(苦笑)。押井さんの「パトレイバー2」でも今までとは違い、暗く地味な絵になったために「今度の原画はしんどいと言われている。まあ、作業が楽しくないということで。」と文句が言われているのもなんか似た境遇で興味深い(笑)。

 それと最後の部分はお茶の間でリアルタイムで戦争を見ることが出来るようになった「湾岸戦争」がその当時のクリエーター達にとって大きく影響を与えたことを伺えさせますね。  

Posted by 天野"kevin"達也 at 23:44Comments(0)Vガンダム

2011年12月17日

1993年のVガンダム・その1

 家から93年のアニメージュ6月号を発掘したので(物持ちいいですねぇ)読み返して見ると、ちょうどこの頃放映していた「Vガンダム」の監督、富野由悠季監督と映画「パトレイバー2」の公開を控えた押井守監督のインタビューが今、改めて読むとなかなか興味深いので書き移してみようと思います。

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富野:今度の「パトレイバー2」は「戦争」を題材にしていると、聞いているのですが。

押井:まあ、戦争には違いないのですが、内戦ものなんですね。直接的なきっかけとして「湾岸戦争(注)」があったんですが、それで今まで僕が考えていた戦争のイメージが、だんだんはっきりして。内戦なんだと。理屈で考えても今世紀に入ってからの戦争はすべて「内戦」だったという気がする。国家間の戦争というものは、実はもうなくなっているのでは。


(湾岸戦争:1990年~91年)

富野:そうですね。

押井:内戦の危機がたまたま国際間の戦争に転化したという考え方。特に最近、その傾向があらわになったという気がしていて、一番の典型が天安門事件(注)や湾岸戦争だと思います。いろんな小説やマンガやアニメも含めて、今までの戦争のイメージはどうしても一種古典的な「国」と「国」との戦いという戦争観がやはり強かったと思うのですね。僕は逆になるべく枠を広げないで、一つの街なら街の中だけで戦争というものを表現したほうがその本質がでやすいのではないかと思う。若い観客や読者の従来の戦争観をどこかで変えられるのじゃないかという、期待感を込めて作っているところです。

そういう意味で言えば「Vガンダム」の世界も基本的には一種の独立戦争みたいなもので「内戦」を描いているのではないですか?


(天安門事件:1989年)

富野:ええ、そうだと思います。

押井:先日放送された「Vガンダム」の第1話を見てまず、何か変だなという感じがしたんです。で、知人に聞いたところ、あれは当初、第4話として放映される予定のエピソードだったと聞いたので、そういう意味ではまだ何も言えないですが……。大変失礼ながら言うと、富野さんの作品というのは放映から、ある程度時間がたたないとわからない。リアルタイムで見ていても、正直いってまったくわかりませんでした。たぶん再放送で週に5話分いっぺんに見るとわかる(笑)。ただあえていえば、かなり古典的な体裁でいくのかなという気がしました。

富野:まったくそうです。やはりテレビというのはそうであるべきなのだなと、キャラクター商品や、見せ場である「ガンダム」を一番初めに見せるという、テレビの機能に素直に乗っ取ってあげるほうが良いと判断したんです。そうした大きな理由として、簡単にチャンネルを替えられるテレビでは、映像は視聴者に完全に伝わって理解されることはまず期待できないから、むしろそれを逆手に取って初めに王手を見せておいて、あとで実はこうだったとやることが出来る。基本的にテレビ放映とはそういうものだろうと。で、申し訳ないけれども第4話で予定していた話を1話にしました。ただ作り手としてはその結論を出すのにあたっては二晩泣き明かしました。それはウソだけれども(笑)。一晩考えたことは事実です。



押井:僕は第一話を見た瞬間、世界設定はよくわからなかったけれど、今の「ボスニア(注)」に見えた。逆に今の子供とか若い人には、それがすぐにピンとくるのではないかと思ったんですが。


(ボスニア:クロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナ等が独立戦争を起こしたユーゴスラビア紛争の事を指している。1991年~2000年)

富野:と、僕は思います。それは先ほど押井さんが言っていた戦争観にかかっているのだけれども、僕のスタンスとまったく同じです。描写は個人でしかあり得ないし、個人を取り巻いている戦争状況というのは大戦争のわけがない。国家の大義名分を伴った戦争というのは植民地、つまり領土獲得時代までですね。それだってどこまで国家の問題という戦争であったかというと、とれも怪しい。

今回の「Vガンダム」は、実は東欧、チェコのプラハ(注)近郊を舞台に設定して始めたのです。それは放映の一年半くらい前に決めたことで、なぜかといえば、やはり我々自身が一番解らない部分から、物語をはじめていかざるを得ないと思ったからです。それはつまり異民族同士が集まってくることから起きる問題。自分たちの仕事に引き寄せて考えれば、日本人が世界レベルでエンターテインメントの「監督」をやれるのかどうかという問題にもかかってくるのではないかと。そういう問題にもかかってくるのではないかと。そういう部分を射程に入れてものを考えていく時代になってきたと思うんです。

と、いうような話は押井さんが初めて聞いてくれたので、話しましたが(笑)。実際、する必要もないのです。そのために作品を作るのだから。


(プラハ:カテジナが住んでいたウーイッグは元々プラハだったところ。主人公ウッソ達が住んでいたカサレリアはそのプラハ近郊の都市という設定だった)

押井:夕方の5時に放映される「Vガンダム」の中でボスニアを思わせる世界が出てきて、6時になるとニュースの時間でボスニアの現実の映像が出てくる。多分、間違いなくそう思うのだけれど、子どもや若い人って、どうしても与えられた映像に感情移入するのですね。その中で自分に引き寄せて問題を考える。ニュースで流れているボスニアの風景と、アニメの世界で作り上げられているそういう虚構の世界とは、実は同じプロセスを通って「あるもの」に近づくのではないかと思っている。それにちょっと興味があった。それがどういうふうに見えるのかなと。

富野:興味があったと同時に、僕の年代でいうと、ちょっと恐いと思った。変にグチャグチャに理解してもらっていは困るし、そういう実感もちょっとあります。

押井:やはりうっかりすると現実が僕らが作ってきたものに肉薄してきたというか、そういう感じなんです。現実がそういうふうに引っ張られてきたという気がするんですね。

富野:「Vガンダム」に関していうと、そういう現実とのゴチャゴチャ感をむしろ喚起したり、増長するものではないかということで、言ってしまえば悪い番組になっていくのではという懸念と同時に、むしろ悪い番組、悪い人のレッテルを貼らせなくてはいけないのではないかな。そういう作り方をしてしまったのではないかなという懸念はあります。

押井:そういう考え方も出てくると思います。ただ、今までとちょっと違うと考えているのは、かつてのガンダムの世界観の中で熱狂してプラモデルを作ったりしているファンと、初めて「Vガンダム」を見る新しいお客さんの中高生とは、多分相当なギャップがあると思う。かつてのファンには「Vガンダム」の向こうにボスニアが見えたりすることは、ないだろうと。

富野さんがよく口にしておられた、最初の「ガンダム」に戻るということは実はそういうことなのではないかと僕は思って聞いていた。そういう意味で、これはおもしろいのではないかなと。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 インタビューの冒頭なのにかなり大事な話が詰まっています(笑)。これを読み返すと「Vガンダム」が成功できなかった理由が見えてきます。

 まずは1話から4話の構成が変則的になってしまった点。これは主人公メカである「ヴィクトリーガンダム」が1話から出てこない点をスポンサーのバンダイが指摘して本来4話だったものを1話に変更し2話から4話だった物をシャクティ・カリンの回想という形で補った経緯がありました(つまり2→3→4→1と見た方が解りやすい)。この話に関しては「余計な横やりをいれたバンダイが間違っている。」という意見が多いと思うのですが、僕は逆に「富野さんが間違っている」と思うんです。

 たしかに横やりを入れた事でただでさえややこしいストーリー(なんせ戦っているのが敵方ザンスカールのクロノクルとそのザンスカールのモビルスーツを奪った主人公ウッソ・エヴィン。ぱっと見、仲間同士が戦っている様に見える)が余計にややこしくなった事態になったのは確かではあります。ですが何故主人公メカの「ヴィクトリーガンダム」が(当初想定されていた)4話まで登場しないのか、何故1話に視聴者の心を掴むために一瞬でも「ヴィクトリー」を登場させようと考えなかったのか不思議なんです。TVシリーズと映画の違いはありますが、「逆襲のシャア」で中盤から登場する「ニューガンダム」を映画の冒頭で頭部だけ見せる事をしたのにもかかわらず。もちろんこれは結果論ではありますし、ストーリーの構成上、いきなりウッソに「ヴィクトリー」に乗せるのも難しいとは思います。ですが、カミオン(モビルスーツを運搬する大型トラック)に搭載されている「ヴィクトリー」をチラ見させるキャッチーなシーンがあってもよかったんじゃないかなとも思うのです。

 そしてテーマとしてユーゴスラビア(ボスニア・ヘルツェゴビナ)紛争を取り上げた点も不味かったと思います。もちろんその時代の空気感に乗った作品づくりをすることはクリエーターとして大事なのですが、

○日本と関係が深くなく、
○ついこの間まで共産圏であった東ヨーロッパの国で、
○紛争のベースとなった民族問題・宗教問題が日本人には理解しづらい。

という問題がある以上、このユーゴスラビア紛争に対し「Vガンダム」放送当時の日本人が「現実感(リアル感)」を持って受け止めていたかと言われると非常にあやしい。いや今でも本当の意味で理解できている人は数少ないのでは?ここまで読んでくれている人はかなり「Vガンダム」に対して解っている人だと思うのですが(苦笑)、そういう人でも国名の書いていない世界地図を出してきて、「かつてのユーゴはどこ?」「Vガンダムの物語の始まりの地であるチェコはどこ?」と言われても多分答えられないと思うのです。「5時のVガンダムを、6時の夕方のニュースでボスニアの現実を見、そこから共通のものを感じ取る」というのは視聴者に対して過度に期待しすぎたのではないでしょうか(ここの部分は押井さんの言葉ではありますが、富野さんが狙っていた事をズバリ指摘した言葉だと思います)?

 それに対して押井さんの「パトレイバー2」は導入部の「海外に派兵している自衛隊が襲撃される」という点だけ見ても、92年にPKO法案が成立したことの「危機感」を上手く転じさせて観客に「現実感」を持たせることに成功できているんです。やはり日本の観客に日本の出来事をベースにすればリアルに感じないわけがない。

ウィキペディアの「自衛隊海外派遣」のページ

 「ファーストガンダム」の強みというのは制作者の伝えたかったことの、これから言う数字は適当に付けた数字ですが、3分の1しか視聴者が受け取れなくてもそれでも楽しめた事だと思うのです。残りの3分の2は大人になったり、マニアな研究をすることで新たに楽しめる要素が残っているから息の長い作品になりえたのではないでしょうか?ところが「Zガンダム」では50%受け取れないと楽しめない、「Vガンダム」に関しては80%受け取らないと楽しめない作品になってしまった。これではある程度人生経験を重ねているか、勉強していて感受性が高い人でないと解らない。どのような映像作品であっても初見で、事前情報無しで、深く考えなくても「面白い!」と感じる作り方をしなければダメだと思うのです。

 残念ながらVガンダムファンである僕でさえVガンダムは失敗作であると言わざるを得ません。しかし失敗作でありながら今なお魅力的な輝きを持っているのはハードルの高さゆえに長い時間をかけて政治、宗教、戦争、死といったものをジワジワ心に響かせる作りになっているからじゃないのか、と思うのです。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

余談ついでに。今発売中のニューズウィーク日本版でアンジェリーナ・ジョリーの初監督作品「イン・ザ・ランド・オブ・ブラッド・アンド・ハニー」についての話が出ています。この作品はユーゴスラビア紛争の中のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を扱った重たい作品のようなのですが、彼女は「すべての人にあの戦争を記憶してもらうために製作した。本当に理解できる人は少ないだろうけれど。」と語っています。紛争が終わって10年以上経った上でアメリカ人の彼女の発言。この紛争を映像作品として扱う難しさを現していると思います。  

Posted by 天野"kevin"達也 at 23:36Comments(0)Vガンダム

2011年10月20日

君はVガンダムのボーリアンを知っているか?

 Vガンダムのコアなファンなら知っている熊本県の三井グリーンランドに設置されていた2/3サイズのVガンダム(10m)について調べてみるとオープニングイベントらしい動画を発見しました(ちなみに07年に親会社の三井鉱山が手放したために今は三井が取れてグリーンランドという名称だそうです)。



 これを見ているとイベント開始前にお姉さんが
「じゃあね、ちょっとね会場のお友達に質問しまーす。この中で機動戦士Vガンダムの事知っているお友達、元気良く手を挙げてみて下さい!はーい、どうもありがとー。半分くらいのお友達が手を挙げてくれたのかなー?この機動戦士VガンダムはまだTVでは放送されていないのにみんな良く知っていますね。でもね、知らないお友達も大丈夫です。なんとね、今日から機動戦士VガンダムはTVで放送が始まります。夕方5時からですからね。それまでお家に帰りついたお友達は是非見て下さい!」

…ダメ!
子供たち見たら
ダメぇー(汗)!


もう一話目から訳わかんないし、お母さんの首が「ピョーん!」となったり、シュラク隊のお姉さん達が死にまくったり、結局最後は何をやりたかったのか解らないまま終わっちゃうし、変にはまっちゃったりするとお兄さんみたいなダメな大人になるから絶対に見たらダメです(笑)!

 ここで戦隊物のようなショーが繰り広げられるのですがこの世界観が
ガンダムとスターウォーズ
を合わせたような

物なのがなんとも(苦笑)。

 さてショーは後半へ。ここからヒーロー側がVガンダムに乗り込み悪のメカ、ボーリアンを倒そうとするのですがどう見てもこのボーリアン、
強そうに見えない…。
だって厚さがペラペラなんだもん(笑)。


しかしショーの締めにかかっているのに
「ボーーーーー!!!」
とボーリアンの排気口からアフターバーナーのような物をだすもんだから何をやっているのかよくわかんないときたもんだ。

 イベントでの動画ではボーリアンがどんな姿か解りづらいと思うのでこちらのCMを見て貰えばなんとなく解るのでは。


「画伯」レベルの画力しかないのですがボーリアンを描いてみました。

これは色んな意味でダメだ(苦笑)!

さらに突っ込んで調べてみるとボーリアンをモデル化した人がいたというから驚き!
↓詳しくは下のニコニコ動画で。
http://www.nicotwitter.com/watch/nm8680540

 今後記録にも記憶にも残らないであろうボーリアン君。せめてVガンダムファンだけでも「そんなやついたなぁ。」くらいで良いので記憶に留めてあげましょうよ。

 ところで本来はこっちを取り上げるべきはずの10mVガンダムですが、彼は今、何処にいるんでしょうかねぇ。渋谷駅にある岡本太郎さんのの壁画「明日の神話」みたいにどっかの倉庫で眠っていたりするんでしょうか…。

おまけ:VガンダムのLDと旧DVDBOXのCMも発掘。




映像ソフトのデフレ化が起きている今から見るとこの時期ソフトの価格は高いですよねぇ。  

Posted by 天野"kevin"達也 at 00:05Comments(2)Vガンダム